テレビについて

テレビが急に映らなくなって、数日間テレビのない生活を送ることになったので、感じたことを残しておこうと思う。
※修理代がいくらしたとか、○○したら直った! とかの記事ではないです。テレビは潔く買い換えました。

 

いままでも、ニュース以外で特定の番組を定期的に見る習慣がなかったので、しばらくテレビがなくても大丈夫とは思っていたんだけれども、音のない世界というのは存外静かすぎて、YouTubeiTunesなどで「音」を聴く時間が増え、さらにTwitterFacebookなどのSNSで、普段はあまり見ていなかった友人やらの近況を覗く時間がなぜか増えた。

友人らのこどもの成長を見て「いいね」を押し、YouTubeで好きな音楽をいろんな人の演奏で聴き比べてみたり。

時間を持て余していたということなのかなんなのか。
自分の行動が興味深いのだけれど、深堀りするほど気力も探究心もないので、次へ行く。

 

ニュースは原点に帰って新聞で。

ネットニュースも見ていたので、そんなに世の中の流れがわからなくなってはいないと思っていたけれど、それだと流し読みになりがちで、量は蓄積されても、ただそれだけだったんだなと。下手したらタイトルだけ見てわかった気になったり、あとで調べてみようと思ってそれで終わってたことがたくさんあった。

新聞を久々に最初から最後まで読んでいたら、与えられた情報に対して「考える」ということを自然発生的にしていて、ネットと同じ情報を享受しているはずなのにこの違いはなんなのかなと。

あとは、ネットでこの見出しだったらクリックして本文まで読んでないなといったニュースも、読んでみたら面白かったり。

紙とネットの違いって、一度に目に入る情報量の差だけなのか。

ネットだと自分が興味のあるものや、興味を惹かれたものだけを選択することができるので、たくさんの情報を取り入れた気になっていても、一歩下がって俯瞰してみると、とても偏ったちいさな箱庭のなかで、ああだこうだと思い巡らしていただけの場合も多い。

だから気をつけようとは思うのだけれど、なかなか広く浅くが実行できないのだ。
ここも深堀りしたら面白いことになるのかもだけれど、いかんせんモノゴトを深く考えるをしてこなかった人間なので、やはり次へ行く。

 

そして、買い換えたテレビが到着し、数日振りに映像と音楽が生活に沿う空間に自分を置いてみたら、ざわざわざわざわ煩いなと思ってしまった。

到着日の平日は有休を取っていたので、日中はワイドショー的な番組が多かったのだけれど、画面のなかで大人数でああだこうだ(日馬富士の事件について)語っていたのが、非常に情報過多だと感じた。

垂れ流される他人の意見を、ただただ受け取るだけというのは意外と辛いものだなと。

いやいやこっちにも考える時間をくれよ! とか、さっき彼女がいいこと言ったのに、そこ流しちゃうのか!? とか、そもそもこんなに人数いらないよね? とか、とにかく頭のなかがごちゃごちゃするし、自分のペースで進まないことにぐったりして、しばらくしたら寝落ちしていた。(ただの昼寝)

テレビはとにかく情報量が多い。

ワイドショーを見ることがあまりない生活+久しぶりのテレビ(視覚&聴覚に一度に情報が入る)という状況だったので、もう少し緩やかなものからリハビリすればよかったというのが総括なんだけれど、ひたすら情報を一方的に受け取る生活を続けていたら、脳が疲れるのと麻痺するのとどちらが先なんだろうと少し怖くなった。

だけどきっとすぐに慣れてしまうんだろうな。
だから忘れないようにと、記録しておく。