映画「女神の継承」

観に行ってから数日経つのに、ぐるぐる頭の片隅にあって消えない作品。
めっちゃホラーだった。そりゃあもう、寸分の狂いもないホラー映画!

韓国映画の監督ナ・ホンジン原案・プロデュース作品。
少し韓国風味があるのかなと思って観に行ったけれど、基本的にはタイ映画だった。
(タイ映画は「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」しか観たことなかったので、こういう映画も作れるのかと、新鮮な思いもした)

ナ・ホンジン監督の作品「哭声」と同じく、最後まで観ても明快な答えは提示されないので、観終わったあとにいろいろ考える(考えさせられる)映画でした。

 

以下感想……というか、ぐるぐるしている思考をただただ書き出したので、まとまってはいないです。
丁寧な解説なんてものもありはしませんが、ほんのりとネタバレしてるので、未見の方は閲覧ご注意ください。

 

映画は終始、モキュメンタリーの手法で展開していく。
(まったく違うのに、「カメラを止めるな!」を思い出すタイミングがたびたびあった)

タイの土着信仰を取材していたテレビクルー(基本的にカメラ目線なので、スタッフはほぼ映らない)が、取材していた祈祷師・ニムの姪ミン(姉・ノイのこども、成人)に、女神バヤンの祈祷師を継承する前に起きる不可思議な現象が起こったと情報が入り、祈祷師の代替わりを撮影できるかも?と、欲をかいてそのまま取材を続行。

しかし、取材中にますます姪の奇行は悪化し、これは本当に女神の継承の現象なのか?とだんだんと周囲を絶望に陥れ、巻き込んでいく。


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とにかく人が死ぬ。
救いを、望みをかけてすがっても、あらゆる人が死ぬ。

怨念の前には神も無力なのか、祈ることを止めたからなのか、信じることに疑いを持ったからなのか。

信じる者は(ある意味)救われる。
でも、信じることを止めたら?

── 祈りの先に 救いはあるのか。 ──

この一言が映画全体を通したテーマなんだけど、とても深くて重い。

祈ることは、疑いを持たないこと。
ひたすら信じること。

けれど、祈祷師でさえ、神の声を伝える代弁者ではなく、ただ一番の信者なんだよね。この女神バヤンの。
祈祷師になったといえども、オカルト的な特別なパワーを持つわけではなく、神が祈祷師に憑依して、祈祷師を通じて神の声(お告げ)を伝えるという宗教でもない。ただ女神バヤンを崇めて、信じるだけ。

悪霊が憑いたらしいと相談されれば、助言をしたり、女神バヤンに祈りを捧げて悪霊を退治するけれど、それだけでは生活が成り立たないので、ニムは祈祷師でありながら、縫製の内職をしていたりもする。(そもそも悪霊退治が有償かどうかは描かれていなかったと思う)

女神バヤンはタイ・東北部イサーン地方に伝承する土着信仰の一種で、現在の祈祷師・ニムの先祖代々の女性が祈祷師を継いでいたのだけれど、そもそもニムの姉・ノイがニムの前に女神に選ばれていて、奇妙な現象も出ていたのに、妹・ニムに押し付けて、他家へ嫁ぎ、キリスト教に改宗してまで、継承することを忌諱していた。

その嫁いだ先のヤサンティア家では、紡績工場を営んでいた祖父の代から男系が不審な死を遂げていて、ノイの息子も旦那も相次いで亡くなっていた……。

残された娘・ミンを救うために、ミンに女神を継承して(楽にさせてあげてほしい)とニムに縋るノイを、都合のいい人だとは言い切れない。


バヤンを信じる信じないの前に、祈祷師一族の女性は、祈祷師の継承者に選ばれると原因不明の体調不良(特に女性が嫌がるような現象)に見舞われ、本人の意思に関係なく、祈祷師になることを承諾しないとこの体調不良が治らない。

この現象の嫌な感じに、本当にバヤンは「神」なのかどうかという怖さを感じた。
(神に選ばれて、なぜそんな目にあわなきゃならないのかと)


タイって仏教の国のイメージがあったんだけど、湿度が高く、緑に囲まれた地方の村にまつわる土着信仰は、ある意味本物のような説得力を持って、一気に映画の世界へ誘ってくれました。

エンドロールに流れる歌が、お祓いの歌だといいなと思いながら、誰一人席を立たずに最後まで見ていたのが印象に残っている。
とにかく打ちのめされた感が強かった。

映画を観て、いろいろ考えるのが好きな人にはおすすめの作品。
だけど、動物(犬)が好きな人にはおすすめできない、そんな作品でした。