ゴールデンウィークってみんなそんなに満喫してるもんなの?

ゴールデンウィーク折り返し地点。
ギリギリまで休日出勤するか未定だったため、とくに予定も入れぬまま10連休突入。
(結局出勤はなしに)

去年12月から繁忙期で、ノー残業デーの水曜日以外、ずっと遅かったので、初日は寝て終わりだろうなと思ってたけど、すでに5日過ぎてほとんどずっと昼起き。
夜更かししたから朝起きられないんだよね…はは。といつもと同じ時間に寝ても、10時間ほど爆睡してたので、寝不足関係なかった。しかも10時間睡眠しても、夜眠れるから、一日がとても短い。

Facebookを見れば、家族旅行に行ったり、音楽合宿に行ったりと、充実した休みを過ごしている知り合いたちの報告で溢れかえっていた。

なんか自分休み下手だよな…と、それが分かっただけでも意味のある10連休だったのだろうか。

自分の常識は決して他人の常識ではないのである

SNSでリア友とつながるのも良し悪しだよねと思った話。

 

アカウントを本名にしていない人にコメントをするとき、本名で呼び掛けないのは最低限のルールだと思ってたんだけど(別にアカウント名で呼び掛けせよということではなく、コメント程度なら、呼び掛けなんてなくたっていかようにでも出来るじゃん? という話)、実はそんなの気にしてない人は結構いるんだなと、実感しました。(しかも複数回)

 

アカウントが鍵付きじゃない限り、世界におっぴろげて発信しているわけだから、それなりに身バレするような発言は控えてるつもりだったんだけど、思わぬところから矢が飛んできて、どうすりゃいいもんかねと。

 

最初のときは、名前出しNGだよ~とやんわり伝えてコメント削除したけど、もちろん本人に悪気があるわけじゃないのは分かってるし、おいおい自意識過剰じゃね? って告げるもう一人の自分もいたりするので、モヤモヤとした感情が渦を巻いている。

 

しかし何回か続くと、自分の常識押しつけるのもなんだかなと思うし、友達以外とコミュニケイトすることもほぼないので、それならいっそのこと公開範囲を友達限定にしているFacebookだけで発信すべきなのかなとも思ってみたり。

 

せっかくコメントしてくれた友達に毎回「本名の呼び掛けダメ絶対」と言うのも気苦労だし、とりあえずコメントオフにして、返信はLINEででもひっそりしようと思います。

 

無力感に苛まれる台風前夜

今年(2018年)から、いままで4人でやっていた業務を2人で賄うことになり、当然キャパオーバーとなるので、担当業務の見直しをすることになった。

もう何年も担当していた業務が、自部署の担当範囲を越えていたので、問題点を洗いだし、新フローを検討し、本来の関係各署が責任をもって担当すれば、晴れてこの業務から抜けられる…というところまで整理。

統括部署へ改善策を提出したところ、なんだかいやに高圧的な話し方をする人から問い合わせが入り、そんなに(文句を)言うなら、フローは変えずにいまのまま担当すべきではないかとの極論が。

そりゃいままで通りなら、他部署は業務が増えずにすむけれども、いまのまま担当をしてもうちの部署の売上げにはまったく寄与せず、むしろリソース食って赤字なのに…! と思っても、話が平行線で決着せず、次週に持ち越すことに。(というより、高圧的すぎて話の交差点がまったく見えなかった)

 

誰も担当したくない仕事というのはどこにでもあって、いくつかの部署を通していても、結局どこもチェック機能が働いていない場合、気になって手をかけた方が負けというかバカをみるというか…。

 

大きい会社はたくさんの部署が絡んでいて、なにをするにも調整だらけで、独自の手順を踏まないと話さえも聞いてくれないという案件が続いていて、別の意味でも疲弊している。

ちいさい会社の方がすっきりしてそうだなぁと思うのは、他人の芝生は青く見えるの典型なんだろうか?

どこにでも大なり小なりの問題があるのは知ってはいるつもりなんだけど。

テレビについて

テレビが急に映らなくなって、数日間テレビのない生活を送ることになったので、感じたことを残しておこうと思う。
※修理代がいくらしたとか、○○したら直った! とかの記事ではないです。テレビは潔く買い換えました。

 

いままでも、ニュース以外で特定の番組を定期的に見る習慣がなかったので、しばらくテレビがなくても大丈夫とは思っていたんだけれども、音のない世界というのは存外静かすぎて、YouTubeiTunesなどで「音」を聴く時間が増え、さらにTwitterFacebookなどのSNSで、普段はあまり見ていなかった友人やらの近況を覗く時間がなぜか増えた。

友人らのこどもの成長を見て「いいね」を押し、YouTubeで好きな音楽をいろんな人の演奏で聴き比べてみたり。

時間を持て余していたということなのかなんなのか。
自分の行動が興味深いのだけれど、深堀りするほど気力も探究心もないので、次へ行く。

 

ニュースは原点に帰って新聞で。

ネットニュースも見ていたので、そんなに世の中の流れがわからなくなってはいないと思っていたけれど、それだと流し読みになりがちで、量は蓄積されても、ただそれだけだったんだなと。下手したらタイトルだけ見てわかった気になったり、あとで調べてみようと思ってそれで終わってたことがたくさんあった。

新聞を久々に最初から最後まで読んでいたら、与えられた情報に対して「考える」ということを自然発生的にしていて、ネットと同じ情報を享受しているはずなのにこの違いはなんなのかなと。

あとは、ネットでこの見出しだったらクリックして本文まで読んでないなといったニュースも、読んでみたら面白かったり。

紙とネットの違いって、一度に目に入る情報量の差だけなのか。

ネットだと自分が興味のあるものや、興味を惹かれたものだけを選択することができるので、たくさんの情報を取り入れた気になっていても、一歩下がって俯瞰してみると、とても偏ったちいさな箱庭のなかで、ああだこうだと思い巡らしていただけの場合も多い。

だから気をつけようとは思うのだけれど、なかなか広く浅くが実行できないのだ。
ここも深堀りしたら面白いことになるのかもだけれど、いかんせんモノゴトを深く考えるをしてこなかった人間なので、やはり次へ行く。

 

そして、買い換えたテレビが到着し、数日振りに映像と音楽が生活に沿う空間に自分を置いてみたら、ざわざわざわざわ煩いなと思ってしまった。

到着日の平日は有休を取っていたので、日中はワイドショー的な番組が多かったのだけれど、画面のなかで大人数でああだこうだ(日馬富士の事件について)語っていたのが、非常に情報過多だと感じた。

垂れ流される他人の意見を、ただただ受け取るだけというのは意外と辛いものだなと。

いやいやこっちにも考える時間をくれよ! とか、さっき彼女がいいこと言ったのに、そこ流しちゃうのか!? とか、そもそもこんなに人数いらないよね? とか、とにかく頭のなかがごちゃごちゃするし、自分のペースで進まないことにぐったりして、しばらくしたら寝落ちしていた。(ただの昼寝)

テレビはとにかく情報量が多い。

ワイドショーを見ることがあまりない生活+久しぶりのテレビ(視覚&聴覚に一度に情報が入る)という状況だったので、もう少し緩やかなものからリハビリすればよかったというのが総括なんだけれど、ひたすら情報を一方的に受け取る生活を続けていたら、脳が疲れるのと麻痺するのとどちらが先なんだろうと少し怖くなった。

だけどきっとすぐに慣れてしまうんだろうな。
だから忘れないようにと、記録しておく。

モラトリアム中年の憂鬱

非正規雇用のままで結構いい年まで来ちゃった人は、正社員になるチャンスを逃して、仕方なく非正規雇用に甘んじているだけで、チャンスがあれば正社員になりたいんだ、という声も大きい昨今ですが、正社員故の業務量や責任、会社のルールに則った仕事や考え方をしなければならない等々のことを考えると、そういうのが煩わしいから、あえての非正規なんだという人も一定数いる。

というか、私の周りには割と多い。

大体もともとはどこかの会社で正社員をしていて、体調を崩したり、家の都合でいったん離れて、再就職しようとしたときに、非正規しか見つからなかったというパターンをよく聞くし、自分もそのなかの一人だ。

で、いったん非正規で社会復帰をしてみたものの、安い給料だけど責任の重くない仕事だし、残業しこたまするような生活ではないからいいかと思って、気がついたらいい年になっていたという現実。(入社したときには20代や30代だったのに、いまやみんな40代・50代でござる)

非正規だなんだと言いつつも、会社にはちゃんと社員転換の制度もあって、割と新しく入って来た人は数年で転換をしている傾向なんだけれども、いまの会社に10年以上いる非正規社員ほど、社員転換をしたがらないのは、社員のカースト制度がかなりシビアだからという話は機会があったら改めて書こうと思う。

 

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