視聴後、重い気分になるのが分かっていても「老人漂流社会」を見てしまう心理

NHKドキュメンタリー「老人漂流社会」。

www.nhk.or.jp

 

  • 華やかな老後→出てきません。
  • 老後は夫婦ふたりで悠々自適生活→出てきません。
  • やっと夫婦で海外旅行三昧→出てきません。

 

出てくるのは、少ない年金で高齢の親の介護をして、いつか共倒れしてしまいしそうな家族や、こどもが非正規雇用で実家に舞い戻り、親の収入がないと一家の生活が成り立たない家族・・・などの、見ているだけで苦しくなる、日本の現実。

 

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最強の目覚まし(音楽編)

朝が苦手です。

いつもだらだらと夜更かししてしまって、余計に朝起きるのがどんどん苦手になっていく。
翌朝早いときは、目覚ましを何個かセットしてなんとか起きるんだけど、携帯やスマホがない時代はCDをタイマーで目覚まし代わりにしてました。

んで、いろいろ試した結果、一番効果的だったのがこの曲。



ショスタコーヴィチ 交響曲第5番「革命」第4楽章 - YouTube

心臓に悪い目覚めになること受け合いだけど、確実に起きれますよ!

共存するということ。

社食の燃えるゴミ入れに、缶詰の蓋が入れられていた。

ゴミ箱は上から投げ込む形式で、数々の白い紙ナプキンの上に投げ入れられていたそれは明らかに凶器以外のなにものでもなく、どうして燃えるゴミに入れることにしたのか、そこに至った心理がわからない。

どこに捨てればいいかわからなかったとしても、鋭利な缶詰の蓋を燃えるゴミとするものなのだろうか。

最近、雨の日の廊下は折り畳み傘の花があちこちで開き(広げて干している)、トイレに入れば、壁に鼻くそがたくさんこすりつけられていて、結構名前の知れた企業のはずなのに、なんでこんなにモラルが低いのかと哀しくなる日々。

とりあえずゴミ箱から取り出しておいたけれども、なんだかもやもやが残る、連休明けの初日でした。

老いていくということ

年を取るというのは、「どこかに行きたい」とか「何かを見たい」と思うエネルギーが失われることだから、若いうちに海外に行ったり、さまざまなものに触れておくようにと、そう冗談混じりに言っていた母も今年で69歳。
だんだんと先を見据えた終活がはじまった。

まずは築40年を越える、いまでは半分もふさがらなくなってしまったアパートを処分することになった。

いままで何も手伝ってこなかった自分には残されたところで管理も何もできるはずもなく、これ以上持っていてもプラスになることはもうなく、どちらかというと、メンテナンス費や解体費などを考えるとマイナスにしかならないのだから、仕方のないことなんだけれど。

何もしていない自分が哀しさを覚えるのは都合のいい話なんだとはわかっていても、40年以上も側にあったものがいざなくなるというのは、やはり喪失感を覚えてしまう。

もちろんその決断をした母の方が、何倍も感じていることだろう。


ここ最近は、十分に食材があるのに、必要以上に買い込んだあげく余らせてしまったり、買いだめした出来合いのものを先に食べなくてはならないのに、新たにご飯を炊いたうえにパスタを作ったりと、少しずつ、少しずつ、母のなかのメーターが壊れはじめてきている。

人は必ず老いるとはわかってはいるのに、いざそのときが見えはじめると、本当に本当につらい。
いまはただ、いつかくるそのときが、できるだけゆっくりと、できるだけひそやかにやってくればいいのにと願うばかり。

時間だけは誰にでも平等なものなのだとわかっていても。


形状記憶体質

ソウル旅行から戻ってきて、歩きまくり&階段登り降りしまくった成果か、けっこう食べまくったというのに、体重計ったら痩せていた。

 
 
うん。
一日だけ。
 
 
なぜ、己の身体は形状記憶体質なのか…!
たった一日、いつもの生活&食事をしただけで、こうもあっさり戻るものなのかね。
 
いやわかってるよ。
「摂取カロリー<消費カロリー」にしなきゃならないことくらい。
 
ソウルで歩いた&階段登り降りしたあれを日常にできないのなら、摂取カロリーを抑えるしかないってことを。
 
 
だけど、
それが難しいのである。
 
だから、
この結果(ぶよぶよ)なのである。
 
ああ無情なり。