最強の目覚まし(音楽編)
朝が苦手です。
いつもだらだらと夜更かししてしまって、余計に朝起きるのがどんどん苦手になっていく。
翌朝早いときは、目覚ましを何個かセットしてなんとか起きるんだけど、携帯やスマホがない時代はCDをタイマーで目覚まし代わりにしてました。
んで、いろいろ試した結果、一番効果的だったのがこの曲。
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番「革命」第4楽章 - YouTube
心臓に悪い目覚めになること受け合いだけど、確実に起きれますよ!
共存するということ。
社食の燃えるゴミ入れに、缶詰の蓋が入れられていた。
ゴミ箱は上から投げ込む形式で、数々の白い紙ナプキンの上に投げ入れられていたそれは明らかに凶器以外のなにものでもなく、どうして燃えるゴミに入れることにしたのか、そこに至った心理がわからない。
どこに捨てればいいかわからなかったとしても、鋭利な缶詰の蓋を燃えるゴミとするものなのだろうか。
最近、雨の日の廊下は折り畳み傘の花があちこちで開き(広げて干している)、トイレに入れば、壁に鼻くそがたくさんこすりつけられていて、結構名前の知れた企業のはずなのに、なんでこんなにモラルが低いのかと哀しくなる日々。
とりあえずゴミ箱から取り出しておいたけれども、なんだかもやもやが残る、連休明けの初日でした。
老いていくということ
年を取るというのは、「どこかに行きたい」とか「何かを見たい」と思うエネルギーが失われることだから、若いうちに海外に行ったり、さまざまなものに触れておくようにと、そう冗談混じりに言っていた母も今年で69歳。
だんだんと先を見据えた終活がはじまった。
まずは築40年を越える、いまでは半分もふさがらなくなってしまったアパートを処分することになった。
いままで何も手伝ってこなかった自分には残されたところで管理も何もできるはずもなく、これ以上持っていてもプラスになることはもうなく、どちらかというと、メンテナンス費や解体費などを考えるとマイナスにしかならないのだから、仕方のないことなんだけれど。
何もしていない自分が哀しさを覚えるのは都合のいい話なんだとはわかっていても、40年以上も側にあったものがいざなくなるというのは、やはり喪失感を覚えてしまう。
もちろんその決断をした母の方が、何倍も感じていることだろう。
ここ最近は、十分に食材があるのに、必要以上に買い込んだあげく余らせてしまったり、買いだめした出来合いのものを先に食べなくてはならないのに、新たにご飯を炊いたうえにパスタを作ったりと、少しずつ、少しずつ、母のなかのメーターが壊れはじめてきている。
人は必ず老いるとはわかってはいるのに、いざそのときが見えはじめると、本当に本当につらい。
いまはただ、いつかくるそのときが、できるだけゆっくりと、できるだけひそやかにやってくればいいのにと願うばかり。
時間だけは誰にでも平等なものなのだとわかっていても。
なぜ、直感を信じないのか?
資格試験の話。
ひーひー言いながら、老体に鞭打って迎えた試験もやっと終了。
試験問題もその場で回収されたので、自己採点も(そもそも配点も分からない)何もないのだけれど、テキストを読み返してみたら、合ってると思っていたところがバッチリ間違えていたり、不安だったところが合っていたりと、合否の予想がまったくつかず……。
とはいえ、確実に間違えた数が10以上あるので、合格はかなり難しいと、もう諦めの境地ではあります。
それはいいとして、最後の最後に変えた答えが間違っていて、もともと書いていた答えが合ってたって、マンガみたいなオチはなんなのか?
試験のときの自分に伝えたい!
なぜ、直感を信じなかったのかと!!
頭をこねくりまわして導いた答えよりも、直感の方を土壇場で信じる人に、私はなりたい……。